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犬の散歩をするおじさん

2017.08.29.Tue.16:15

今からお話するのは、おそらく毎日、私の身の回りに起こっていた出来事です。

それが日常だったから、気にも止めていなかったのに、

ふと疑問を感じて確かめたために見てしまった、という私の体験話です。

うちの両親は子供の夜更かしには厳しく、私達姉妹が子供だった頃は、夜8時以降のテレビを許してもらえず、

9時には就寝させられていました。

さすがに中学生になると、部活で帰宅も遅くなり、宿題もたくさん課されましたので、

就寝時間はだんだん遅くなっていきましたが。

その存在に気がついたのは、そんな頃。

夜11時頃になると必ず、犬の散歩をするおじさんが家の前を通りかかるのです。

見たことはありません。

鎖を引っ張るような「チャラッ・・・チャラッ・・・」という音と共に、

鼻歌のような、一人芝居をしているような、低い声が聞こえてくるので、

家の中にいる私達は単純に、犬の散歩をしているおじさん、と認識していたのです。

それは雨の日も風の日もかかすことのない、おじさんの日課のようでした。

高校二年の夏だったと思います。

その日の夜は、台風の影響で、外は激しい雨と風でした。

私は窓に打ちつける雨音を聞きながら、妹とマンガを読んでいました。

ふと耳を澄ますと、雨音に混じって、「チャラ・・・チャラッ・・・」という、鎖を引っ張る音がしていました。

私はマンガから顔を上げて、妹に話し掛けました。

「ねえ、まりこぉ。あのおじさん、こんな台風の日にも散歩してるよぉ」

「え?・・・ほんとだぁ。こんな日に散歩なんて、犬も迷惑だよねぇ」

「どこのおじさんだろ?あんた見たことある?」

妹も見たことがないというので、どこの変人か確かめたくなり、

ベランダの窓に顔をくっつけて、外を見ようとしました。

しかし、激しい雨に窓が滲んで、おじさんの姿は見えませんでした。

今までも何度となく台風はきてるけど、そん時も散歩してたのかな・・・?

そんなことを考えながらカーテンを閉めると、私も妹も、もうおじさんに対する関心はすっかりなくなり、

元の位置に寝転びなおして、マンガの続きを読み出しました。

日常の物音を、ほんのちょっとでも気に止めると、その音に対して妙に敏感になることがあります。

次の日の夜、私は鎖を引っ張る音とおじさんの鼻歌が、遠くにあるときから気がついていました。

おじさんが私の家にかなり近づいてきた様子なので、

カーテンをちょっとだけ開け、昨日と同じように窓に顔をくっつけました。

家の前の道は、街灯がポツポツあるので、そんなに暗い道ではありません。

だから、姿が見えないわけはないのです。

でも・・・。

例の鎖のような音と、男の鼻歌みたいな声は聞こえるのに、どう目を凝らしても姿が見えないのです。

そんなはず・・・!

私は思わず窓を開けて、身を乗り出しました。

一刻もはやく人間であることを確認して、安心したかった。

そんな動転している私のすぐ下(部屋は二階でしたので)を、姿の見えない何かが、

「チャラッ・・・ジャッ・・・ジャラジャ・・・チャッ・・・」と、ゆっくり通過していく・・・。

うなるような声を出しながら・・・。

このことは、怖がりの妹には内緒にしておこうと思いました。

でも、黙っているのは落ち着かない。

それで翌日、学校にいくとすぐ友達に話をしました。

女友達は、私が満足する以上の反応で怖がってくれたのですが、男友達がどうしても信じてくれません。

「嘘だと思うなら、うちに来てみれば?勇気があるならね」

私のこの言葉に反応した三人の男子が、私の家に来る事になりました。

とはいえ、そんな夜に男子を家に入れるのを、母が許すはずがありません。

うちの庭には、プレハブの物置小屋がありました。

ちょっと狭いけど、そこにこっそりと招き入れることにしました。

懐中電灯と、声を録音するためのラジカセを持って、夜10時半に集合ということで。

集まった男子達は緊張のためか、いつもよりしゃべりまくっていました。

いくら私が「しーっ!」と睨み付けても、「あーごめんごめん。・・・それでさ~」と、とどまるところ知らず。

私はこれから起こることより、母に見つかって怒られることの方を恐怖していました。

この3人を招き入れたことを後悔しはじめたそのときです。

男子の笑う声の合間合間に、かすかに、「チャラッ・・・」。

「来たっ!」という私の言葉で、その場の空気がいっぺんに固まり、みんな一斉に耳を澄ましました。

最初のうちは、「聞こえないぞ?え?」と言い交わしていたのもつかの間、

それがだれの耳にも聞こえる距離までやってくると、

まるでいきなりビデオの静止ボタンを押したように、三人の動きが止まりました。

それがやってきたら懐中電灯を消すということも、ラジカセの録音ボタンを押すということも、

というより、思考自体を喪失しているようでした。

私はそっと、録音ボタンを押しました。

唾を飲み込む音すら聞こえてきそうな静寂の中、ゆっくりと、それは近づいてくる。

やがて鎖の音と共に、低い、底響きのするような声が聞こえてきました。

歌っているのです。

時代劇の結婚式のシーンで見たことのある、

「た~か~さ~ご~や~~~」みたいな感じのものを歌っているのです。

身動きを少しでもしたら・・・息を少しでも吸ったら・・・

正気を失ってしまいそうな恐怖でした。

「ガタッ!」と、私達の後ろで、何かが床に落ちる音がしました。

その瞬間、

「うぎゃあぁぁああぁっぅ!!!」

3人のうち、YとMの二人が、絶叫をあげながら物置のドアを蹴破り、

信じられないスピードで逃げていきました。

そのとき、私の精神も危なかったのかもしれません。

腰が抜けている私は残ったA君の手を必死に掴み、噛み付いていたのですから。

A君は失神していました。

開けっ放しのドアから、なんとなく生臭い空気が流れてきます。

ドアがあろうがなかろうが、それの通行にはまったく支障がないだろうことは想像がつきます。

もう、すぐそばまでやって来ているのです。

「見たくないっ!」

動くことのできない私は、ほんの少しでも抵抗をしようとドアから顔をそらし、

A君の手に噛み付きながら、放り出された懐中電灯の明かりの輪を見つめて、必死に耐えていました。

「ジャラッ・・・チャッ・・・ジャラッ・・・」

それは、私がへたりこんでいる目の前を通過していきました。

懐中電灯の明かりの輪の中。床から1メートルほど上空を、素足で歩いている足がありました。

空気に色をつけるとこんな感じ?と思えるほどその素足は、あやふやな半透明の色をしていました。

そしてその両足には、『あしかせ』がはめられていました。

どのくらいそこにへたりこんでいたのか、記憶がありません。

気がつくと、両親が私の顔をのぞきこんで、名前を呼びながら肩をゆすっていました。

YとMの叫び声を聞いて、飛んできたのだそうです。

母は私の肩を抱き、居間に座らせ、コーヒーをいれてくれました。

父はA君を抱きかかえ、お風呂場に連れて行きました。(失禁してたらしい)

A君を家に送り届けてから、すこし落ち着きを取り戻した私に、両親が打ち明け話をしてくれました。

「あれを見ないようにと思って、あんたたちを早く寝かせてたんだよ」と。

犬の散歩のおじさんと、勝手に思い込んでいたのも、

どうやら両親の、『すりこみ』のなせる技だったらしい・・・。

なぜ『あしかせ』をかけられたまま、毎日欠かさず歩き回っているのかは知る由もありません。

なんにしても、私達家族が引っ越すまで続いていた現象なので、

もしかしたら今でも、あそこでは鎖の音が聞こえているのかもしれません。

ところで、あの声を録音したテープ。

高校の古文の先生に聞いてもらったのです。

「た~か~さ~ご~や~~~」みたいなやつに詳しいと、人づてに聞いたので。

先生によると、これは『うたい』というもので、

能を舞う時に、または舞いながら、歌うものなんだそうです。

そして、この声の主はおじさんではなく、女なんだそうです。

歌っていたものは現在も伝わっているそうで、先生は題名まで教えてくれました。忘れちゃったけど・・・

「平家のことを題材にしたものだ」と言っていました。

テープに最初ははっきりと録音されていたのに、数日で音が不鮮明になり、やがて消えてしまいました。

その後、引越し、進学し就職し・・・

めまぐるしい身の回りの雑事のなか、テープのことはすっかり忘れてしまい、どこへまぎれてしまったか・・・。

高校の先生に預けっぱなしのような気もするし、捨てたような気もする。

なぜだか記憶にないんです。

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