やっかい箪笥

2017.01.01.Sun.21:18

小学校低学年の頃。

子供の頃の記憶がハッキリしている自分にしては、おぼろげな記憶なので、 

一部夢と混ざっているのではないかと思いつつ、なるべくハッキリしているところを。 

病弱な姉は、多少元気にはなったものの虚弱だったため、

夏休みの間は、虚弱児のための病院施設のようなところに、親と一緒に通っていた。 

その期間、やんちゃで遊びたい盛りの自分は、母方の実家に預けられていた。

ある夏、そこに祖父母の親戚という人が来て、「うちに泊まりにおいで」と言われ、

物怖じしない性分の自分は、あっさりとついて行った。 

その人たちは、父母よりちょっと年上の40~50代の人達だった。

元々山奥の祖父母の家から更に山を二つ超え、数軒のわらぶき屋根が建つ集落についた。

(母の実家のあたりでは珍しくない風景だった) 

途中、ダムの近くを通ったので、今でもだいたいの場所はわかると思う。 

そこは子供のいない家で、山肌に沿ったようなところなのに、わざわざ離れがある。

そこには、祖父母よりもかなり歳を取ったおばあさんがいた。 

親戚夫婦は、その人を『きっくいさん』と呼んでいた。 

ヘンなところに撥音が入る地方なので、喜久井さんか菊井さんだと思う。 

きっくいさんの部屋にはいろんなものがあって、子供心にとても楽しかった。 

市松人形や、手毬、古民具、小さな箪笥などがいっぱいあった。 

親戚夫婦は、「おいでおいで」と自分を連れてきたわりには放置気味で、日中はほとんど畑か山仕事をしていた。 

今思うと、目が見えないきっくいさんの、遊び相手に連れて行かれたのだと思う。 

きっくいさんは穏やかな老婆で、いろんな面白い民話のような話を聞かせてくれた。 

たぬきに騙されて、川の淵を風呂だと思って入り風邪をひいた男の話や、 

近くにある名勝の有名な岩の故事なんかとか。

部屋の中のものは何で遊んでも怒られなかったので、珍しいもので散々遊んだ。 

木馬やシーソーみたいなものもあったと思う。

中でも奇妙だったのが、床の間に置かれた、たくさんの小さな箪笥。 

あちこち押したり引いたり小さな棒で突いたりすると、からくりが働いて引き出しが開くようになっていた。 

大きさは、当時の自分の頭くらいだったと思う。

いい香りがして、開くと香袋のようなものが入っていた。 

きっくいさんは、『やっかい箪笥』と呼んでいた。

中に入っていた香袋は、きっくいさんが上手に作っていた。

目が見えないはずなのにとても手際がよかったので、不思議でずーっと見ていた。 

匂いからして、茶葉やヨモギ、肉桂の類が入っていたと思う。 

ところが、そのやっかい箪笥で遊んだことを親戚夫婦に言うと、すごく怒って、

きっくいさんに「子供の遊ぶものではなかろうが!」と怒鳴っていた。 

普段はきっくいさんに敬語で話していたので、とてもびっくりした。 

きっくいさんは「中身は無いから大丈夫」と言っていたけど、香袋が10個くらい入っていたので怪訝に思った。

でも、言ったらもっときっくいさんが怒られると思ったので、言わなかった。とてもドキドキした。 

そのあときっくいさんが、やっかい箪笥の昔話をしてくれた。 

昔、このあたりに東から鬼がやってきて、女子供を取って食っていた。

食べられた人の魂はやっかい箪笥に逃げ込んだので、魂は食われなかった。

ある日、この村の妊婦が鬼に食われそうになったけど、とんちで鬼を騙して逆に鬼を食べてしまった。

(三枚のお札みたいな感じ) 

やっかいな鬼を食べ、自分とお腹の子供を守ったということで、妊婦は村中から褒められた。 

ところが、やっかい箪笥に入った魂は、鬼がいなくなった事が理解できず、

ずっとやっかい箪笥に篭ったまま成仏しなかった。 

毎晩毎晩、家族や親類の枕元に立って泣き言を言うので、村人は閉口した。 

ここから先のオチを聞いたと思うのだけど、何故か覚えていない。 

ただ、鬼に食われた人の魂が入っていたと言われたので、急に気持ちが悪くなって、

その日以後は、やっかい箪笥で遊ばなかったと思う。 

祖父母はとうに亡くなり、母に聞いても「その親戚のことは知らない」と言っていた。 

祖父母どちらのお葬式にも、その親戚夫婦は来ていなかったと思う。

きっくいさんについては、中学生の頃に祖父母に聞いたところ、

「拝み屋さん」(うせ物などを見つけてくれる)だと言っていたので、

完全な夢ではなく、実在していたと思う。

年齢からして、既に過去の人だとは思うけれど。 

数年前、恋人と一緒にそのあたり(名勝)をドライブしていて、急になつかしくなり、

覚えのある方に車を走らせてみたけれど、

途中で見た覚えのあるダムのあたりから、前年の台風で土砂崩れをおこしていて、通行止めの県の看板が立っていた。

今でも集落があるなら、道がそのままということは無いと思うので、もう誰も住んでいないのだろうと思う。

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