カン、カン

2017.02.26.Sun.11:12

幼い頃に体験した、とても恐ろしい出来事について話します。 

その当時私は小学生で、妹、姉、母親と一緒に、どこにでもあるような小さいアパートに住んでいました。

夜になったら、いつも畳の部屋で、家族揃って枕を並べて寝ていました。

ある夜、母親が体調を崩し、母に頼まれて私が消灯をすることになったのです。 

洗面所と居間の電気を消し、テレビ等も消して、それから畳の部屋に行き、

母に家中の電気を全て消した事を伝えてから、自分も布団に潜りました。

横では既に妹が寝ています。

普段よりずっと早い就寝だったので、その時私はなかなか眠れず、しばらくの間ぼーっと天井を眺めていました。

すると突然。静まり返った部屋で、「カン、カン」という変な音が響いだのです。 

私は布団からガバッと起き、暗い部屋を見回しました。しかし、そこには何もない。 

カン、カン

少しして、さっきと同じ音がまた聞こえました。どうやら居間の方から鳴ったようです。 

隣にいた姉が、「今の聞こえた?」と訊いてきました。空耳などではなかったようです。 

もう一度部屋の中を見渡してみましたが、妹と母が寝ているだけで部屋には何もありません。 

おかしい・・・確かに金属のような音で、それもかなり近くで聞こえた。 

姉もさっきの音が気になったらしく、「居間を見てみる」と言いました。

私も姉と一緒に寝室から出て、真っ暗な居間の中に入りました。

そしてキッチンの近くから、そっと居間を見ました。 

そこで私達は見てしまったのです。 

居間の中央にあるテーブル。いつも私達が食事を取ったり団欒したりするところ。 

そのテーブルの上に、人が座っているのです。

こちらに背を向けているので顔までは判りません。

でも、腰の辺りまで伸びている長い髪の毛、ほっそりとした体格、身につけている白い浴衣のような着物から、

女であるということは判りました。 

私はぞっとして姉の方を見ました。姉は私の視線には少しも気付かず、その女に見入っていました。 

その女は真っ暗な居間の中で、背筋をまっすぐに伸ばしたままテーブルの上で正座をしているようで、

ぴくりとも動きません。

私は恐ろしさのあまり足をガクガク震わせていました。 

声を出してはいけない、もし出せば恐ろしい事になる。

その女はこちらには全く振り向く気配もなく、ただ正座をしながら私達にその白い背中を向けているだけだった。

私はとうとう耐え切れず、「わぁーーーーーっ!!」と大声で何か叫びながら寝室に飛び込んだ。 

母を叩き起こし、「居間に人がいる!」と泣き喚いた。

「どうしたの、こんな夜中に」

そう言う母を引っ張って居間に連れていった。

居間の明りを付けると、姉がテーブルの側に立っていた。

さっきの女はどこにも居ません。テーブルの上もきちんと片付けられていて何もありません。

しかし、そこにいた姉の目は虚ろでした。今でもはっきりと、その時の姉の表情を覚えています。

私と違って彼女は何かに怯えている様子は微塵もなく、テーブルの上だけをじっと見ていたのです。 

母が姉に何があったのか尋ねてみたところ、「あそこに女の人がいた」とだけ言いました。 

母は不思議そうな顔をしてテーブルを見ていましたが、「早く寝なさい」と言って、3人で寝室に戻りました。

私は布団の中で考えました。アレを見て叫び、寝室に行って母を起こして、居間に連れてきたちょっとの間、

姉は居間でずっとアレを見ていたんだろうか?

姉の様子は普通じゃなかった。何か恐ろしいものを見たのでは?そう思っていました。 

そして次の日、姉に尋ねてみたのです。

「お姉ちゃん、昨日のことなんだけど・・・」 

そう訊いても姉は何も答えません。下を向いて沈黙するばかり。

私はしつこく質問しました。 

すると姉は、小さな声でぼそっとつぶやきました。 

「あんたが大きな声を出したから・・・」 

それ以来、姉は私に対して冷たくなりました。

話し掛ければいつも明るく反応してくれていたのに、無視される事が多くなりました。

そして、あの時の事を再び口にすることはありませんでした。 

あの時、私の発した大声で、あの女はたぶん、姉の方を振り向いたのです。 

姉は女と目が合ってしまったんだ。きっと、想像出来ない程恐ろしいものを見てしまったのだ。 

そう確信していましたが、時が経つにつれて、次第にそのことも忘れていきました。 

中学校に上がって受験生になった私は、毎日決まって自分の部屋で勉強するようになりました。 

姉は県外の高校に進学し、寮で生活して、家に帰ってくることは滅多にありませんでした。 

ある夜、遅くまで机に向かっていると、扉の方からノックとは違う何かの音が聞こえました。 

カン、カン

かなり微かな音です。金属っぽい音。

それが何なのか思い出した私は、全身にどっと冷や汗が吹き出ました。

これはアレだ。小さい頃に母が風邪をひいて、私が代わって消灯をした時の・・・ 

カン、カン

また鳴りました。扉の向こうから、さっきと全く同じ金属音。 

私はいよいよ怖くなり、妹の部屋の壁を叩いて「ちょっと、起きて!」と叫びました。 

しかし、妹はもう寝てしまっているのか、何の反応もありません。母は最近ずっと早寝している。 

とすれば、家の中でこの音に気付いているのは私だけ・・・。

独りだけ取り残されたような気分になりました。

そしてもう1度あの音が。

カン、カン 

私はついに、その音がどこで鳴っているのか分かってしまいました。 

そっと部屋の扉を開けました。真っ暗な短い廊下の向こう側にある居間。

そこはカーテンから漏れる青白い外の光でぼんやりと照らし出されていた。 

キッチンの側から居間を覗くと、テーブルの上にあの女がいた。

幼い頃、姉と共に見た記憶が急速に蘇ってきました。

あの時と同じ姿で、女は白い着物を着て、すらっとした背筋をピンと立て、

テーブルの上できちんと正座し、その後姿だけを私に見せていました。 

カン、カン

今度ははっきりとその女から聞こえました。 

その時、私は声を出してしまいました。

何と言ったかは覚えていませんが、またも声を出してしまったのです。

すると女は私を振り返りました。

女の顔と向き合った瞬間、私はもう気がおかしくなりそうでした。 

その女の両目には、ちょうど目の中にぴったり収まる大きさの鉄釘が刺さっていた。 

よく見ると、両手には鈍器のようなものが握られている。

そして口だけで笑いながらこう言った。 

「あなたも・・・あなた達家族もお終いね。ふふふ」 

次の日、気がつくと私は自分の部屋のベッドで寝ていました。

私は少しして昨日何があったのか思い出し、

母に、居間で寝ていた私を部屋まで運んでくれたのか、と聞いてみましたが、何のことだと言うのです。

妹に聞いても同じで、「どーせ寝ぼけてたんでしょーが」とけらけら笑われた。

しかも、私が部屋の壁を叩いた時には、妹は既に熟睡してたとのことでした。

そんなはずない。 

私は確かに居間でアレを見て、そこで意識を失ったはずです。

誰かが居間で倒れてる私を見つけて、ベッドに運んだとしか考えられない。

でも改めて思い出そうとしても、頭がモヤモヤしていました。 

ただ、最後のあのおぞましい表情と、ニヤリと笑った口から出た言葉ははっきり覚えていた。 

私と、家族がお終いだと。

異変はその日のうちに起こりました。 

私が夕方頃、学校から帰ってきて玄関のドアを開けた時です。

いつもなら居間には母がいて、キッチンで夕食を作っているはずであるのに、居間の方は真っ暗でした。

電気が消えています。 

「お母さん、どこにいるのー?」 

私は玄関からそう言いましたが、家の中はしんと静まりかえって、まるで人の気配がしません。 

カギは開いているのに・・・掛け忘れて買い物にでも行ったのだろうか。

のんきな母なので、たまにこういう事もあるのです。

やれやれと思いながら、靴を脱いで家に上がろうとしたその瞬間、 

カン、カン 

居間の方で何かの音がしました。

私は全身の血という血が、一気に凍りついたような気がしました。

数年前と、そして昨日と全く同じあの音。

ダメだ。これ以上ここに居てはいけない。恐怖への本能が理性をかき消しました。 

ドアを乱暴に開け、無我夢中でアパートの階段を駆け下りました。 

一体何があったのだろうか?お母さんは何処にいるの?妹は? 

家族の事を考えて、さっきの音を何とかして忘れようとしました。

これ以上アレの事を考えていると、気が狂ってしまいそうだったのです。

すっかり暗くなった路地を走りに走った挙句、私は近くのスーパーに来ていました。

「お母さん、きっと買い物してるよね」と一人で呟き、切れた息を取り戻しながら中に入りました。 

時間帯が時間帯なので、店の中に人はあまりいなかった。

私と同じくらいの中学生らしき人もいれば、夕食の材料を調達しに来たと見える主婦っぽい人もいた。

その至って通常の光景を見て、少しだけ気分が落ち着いてきたので、私は先ほど家で起こった事を考えました。 

真っ暗な居間、開いていたカギ、そしてあの金属音。家の中には誰もいなかったはず。アレ以外は。 

私が玄関先で母を呼んだ時の、あの家の異様な静けさ。あの状態で人なんかいるはずがない・・・

でも、もし居たら?私は玄関までしか入っていないのでちゃんと中を見ていない。ただ電気が消えていただけ。 

もしかすると母は、どこかの部屋で寝ていて、私の声に気付かなかっただけかもしれない。 

何とかして確かめたい。そう思い、私は家に電話を掛けてみることにしたのです。

スーパーの脇にある公衆電話。お金を入れて、震える指で慎重に番号を押していきました。 

受話器を持つ手の震えが止まりません。1回、2回、3回・・・・コール音が頭の奥まで響いてきます。 

『ガチャ』

誰かが電話を取りました。私は息を呑んだ。耐え難い瞬間。 

『もしもし、どなたですか』

その声は母だった。その穏やかな声を聞いて、私は少しほっとしました・・・

「もしもし、お母さん?」

『あら、どうしたの。今日は随分と遅いじゃない。何かあったの?』 

私の手は再び震え始めました。手だけじゃない。足もガクガク震え出して、立っているのがやっとだった。 

あまりにもおかしいです。いくら冷静さを失っていた私でも、この異常には気付きました。 

「なんで・・・お母さ・・・」

『え?なんでって何が・・・ちょっと、大丈夫?本当にどうしたの?』

お母さんが今、こうやって電話に出れるはずはない。私の家には居間にしか電話がないのです。 

さっき居間にいたのはお母さんではなく、あのバケモノだったのに。

なのにどうして、この人は平然と電話に出ているのだろう。

それに、今日は随分と遅いじゃないと、まるで最初から今までずっと家にいたかのような言い方。

私は電話の向こうで何気なく私と話をしている人物が、得体の知れないもののようにしか思えなかった。 

そして、乾ききった口から何とかしぼって出した声がこれだった。

「あなたは、誰なの?」

『え?誰って・・・』

少しの間を置いて返事が聞こえた。 

『あなたのお母さんよ。ふふふ』

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